コラム: フンメル人形の魅力
第1回: ベルタ・フンメル
フンメル人形のデザインは、100年ほど前のベルタ・フンメル(Berta Hunnmel)という方の絵が元になっています。
今回はベルタさんとフンメル人形の誕生の経緯について紹介します。
1909年、ベルタ・フンメルさんはドイツのミュンヘン郊外、Massingという町で生まれました。
6人兄弟の3番目の娘です。
お父さんは生地屋さんを営んでいました。
フンメル家は暖かく、敬虔なカトリック教徒でした。
ベルタは小さい頃から絵心があり、聡明で、また元気で活発な子だったようです。
両親もベルタの才能に早くから気づき、絵を習わせました。
18歳になると、ミュンヘンの一流の芸術学校 State School of Applied Arts に合格しました。
入学試験の成績もよく、全体で2番だったそうです。
ベルタさんは学校の寮には住わず、シスターの営む家に寄宿しました。
そこで同じ学校に通う友達とも仲良くなりました。
1931年、学校を卒業するとベルタさんは修道女の見習いとなりました。
やがて正式な修道女となり、Maria Innocentia という名前をもらいました。
修道女として暮らす傍ら、修道院が運営する学校で美術の先生を していました。
教職の合間には子供達の絵を描いて過ごしました。
その絵は修道女たちも感心するほどたいへん上手いものでした。
そこで修道院ではその絵をシュトゥットガルト(Stuttgart)の宗教画専門の出版社へ送ろうということになりました。
ベルタは乗り気ではありませんでしたが、渋々承知しました。
そしてベルタの絵はポストカードとして販売されました。
やがてポストカードはフランツ・ゲーベル(Franz Goebel)さんの目に留まりました。
ゲーベルさんは、陶器会社を経営していました。
ゲーベルさんはその絵に感心し、これを陶器人形にして販売したいと思い、修道院と交渉しました。
ベルタさんは当初、自分の作品が商売に利用されるのは嬉しくありませんでした。
しかし当時のドイツは景気も厳しく、またナチが修道院の活動にも干渉して制限をかけたので、
修道女の生活は経済的にとても苦しかったようです。
そのため、修道院の皆の生活のために契約を結んだようです。
こうした経緯でフンメル人形は誕生しました。
1935年にライプチヒ(Laipzig)で開催された国際貿易展示会で展示されると注目を浴びました。
1945年、第二次大戦が終わるとアメリカの兵士がこれをお土産に持って帰り
アメリカでも人気が出ました。
それから80年。
フンメル人形は当時の魅力のまま、M.I.Hummnel のブランド名でゲーベル社で製造されています。
そしてフンメル人形の売上の一部は、いまでもフンメルさんが居た修道院に寄付されています。
(参考)
Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Innocentia_Hummel
Berta Hummmel Museum
https://hummelmuseum.de/english/02bertahummel/index.html